それから予備船員で行つた人たちは、今度の沈んだあとで今までの年功加算をしてやるということになつて、一旦もらつた人たちは今度の場合における退職手当というものはほとんど微々たるものがかなり多かつたと思います。
警察法の改正によって、例の自治体警察の方から移つて行つた人、こういう人の給与の問題があるわけであります。これを調整するのには二年ないし六年かかると言われておりますが、一体これをどういうふうに、すみやかに調整する具体的な方針を持っておるか。何でも最近これをすみやかに調整するような措置をとるというように聞いておりますので、この機会にどういう方法でおやりになるのであるか。これを一応お聞きしておきたい。
西安から、そういうようなぐあいに、今申し上げました青海省、寧夏省、陜西省の武功、延安の東の延長、あるいは宝、草灘、覇橋など数箇所に分散しております、大体向うに行つた人たちで帰国を希望しない人はほとんどないほどでありまして、現在一番気の毒な状態にあるのは清水本之助さんで、この方は終戦後関東局土木部長高等官一等の方で、年齢七十才ですが、いまなお職を与えられず向うの人事局の招待所で――どんな家に住んでいるかということは
それで、結局鄭州から帰りましたのは私と大崎さんと二家族、あとに残りましたのは、鉄道関係ですが、一緒に行つた者で石田君、これは家族が四人、三田さんが家族とも三人、村田さんが五人、岡本さんが四人家族、この四家族は鉄道関係で一緒に行つた人です。それからあそこにもともとおつた山田さんという方が、おじいさんと娘さんと二人です。合計この五家族は、私どもは日本に帰りたくないという人なんですが、この方が残られた。
ひつぱられて行つた人たちをわれわれが送るときは、一億総理起だとかいつて、日の丸の旗を持つて万歳と言つて送つた。その当時の青年の人たちの気持を聞いても、帰つて来て何を言つているか。生き残つて帰つて来た人さえも、ほんとうに敗戦をするなんということは頭に置かず、向こうに行つて誤つた戦争で敗M戦して、しかも帰つて来たらもぬけのからだというような精神的欠除を得ただけであつた。
それは当分の間自治体警察から国家警察に行つた人については、給与の差額は国庫がこれを一定の期間補償するというふうなことであつたと思うのですが、実際は金額に非常に差がありますると、頭を切つておる。六千五百円とか七千五百円というので切つておるように私は伺つております。
調査するからには生産者団体なり事業会社なり、両方へ寄つて調査しなければならないのに、ただ県庁へ寄つて帰つて来たとか、千葉へ行つた人は、森永の自動車に乗つて森永の人が調査したなんという、そういうわれわれの常識で考えると、まつたく公正ならざる調査をやつておる。
中共あるいはソ連へ行つた人たちが真剣にかの国の軍備のあり方を御研究になつたか、私は不敏にしてまだ聞いておりませんが、少くともわれわれは各国の軍備のあり方ということをもう少し研究しなければならぬのじやないかと思います。そうして一定の計画も、これは立てれば立てることに越したことはないと思います。
更に又私どものほうといたしましても、十分暴力行為は否定しておるものの、例えは社宅の中で一部の第二組合に行つた人に対して第一組合の親交のあつた人が説得に出かけた。その説得に出かけた人を脅迫罪なりとして土足で警察官が踏み込んで、そうして検挙した。こういうような事件がございますが、いずれにいたしましても、労働争議が解決しない限りは、いろいろな事実の問題が派生して来る。
そこを考えてみると、銀行に行つた人は、大事なものを欠いておる。今、金融の関係がありましたが、だんだん減つて来たというのは、昨年から今年のお盆ごろまでは非常な申込みがあつたのですが、借りるにも力がなくなつちやつた。だからずいぶん金がだぶつておりますけれども、借り手が少いというような結論ですが、少いのじやないのです。
いずれも裸体ではなかつた、殆んど全部着衣のものであり、男女の別も明らかであり、大体老若の判別も一見してついたという状況でありまして、その後時日がたつておるから、最近の引揚げ遺体等については、必ずしもそうでないかも知れませんけれども、大体乗船名簿或いは名簿にない人々があつたにしても、そこに引揚げて来て遺族というような者が見れば、恐らく関係者は、今言うように、実際は乗船名簿で発表された人だけでも飛んで行つた人
しかしながら考えてみれば旧国警の職員であつたものは、もし昭和二十三年の警察制度の抜本改革がなかつたならば、府県職員と同じように歩調をそろえて給与水準が上つておつたであろう、それが国家公務員になつたがために、給与の引上げが非常に遅れておつた、自治体警察へ行つた人は給与がそれと無関係に自治体なるがゆえに上つた、今度府県警察へ統合されてみると府県の職員は昇給停止だ、そこでまた府県職員でずつとあつたならば上
それから十月からひかりの方も品質を直しまして、これも品質の点で新生に行つた人をまたピースなりひかりの方にもどつてもらうということで、これも準備をいたしておりますが、十月から製造を始める予定にしております。
現に前に正式じやなくて行つた人の意見がいろいろに伝わつて、国民も迷つたり、誤解をしたりした点がしばしばあります。従つて私はこれは政党の方が行かれるというのだから、その例を取つたわけでありますが、それは何も政党に限つたわけではありません。ほかの一般でもそうであるが、仮に政党に例を取れば、いろいろの政党の人が平均に行かれるということならば、これは非常に考えやすい、こう思つております。
それで二千五百人出しますと、厖大なことでもありますし、今日まで、社長の精神といたしまして、何とかして我々は学校に行つた人聞でないのだから、できるだけ国家に対して御奉公するつもりで、一人の失業者も出さずにということで頑張つて来たわけでありますが、もう資金が何ともこれ以上にできませんので、止むを得ず廃山か休山かというようなところにまで立至つております次第であります。
そこでやむを得なければ、どうせ東北におけるキヤンプで新たに人を増員する必要もあるであろうから、東北地方に縁故のある人もしくは東北地方から行つた人は、東北地方に自発的に移つて、そこで採用問題ということになればということも申しておつたのですが、しかし、その東北地方のキヤンプの司令官の立場としては、東北地方のキヤンプそれ自体においても、かねがね人員整理なども相当にやつたことがある。
この間奄美大島に行つた人が、人だかりがしているからといつて行つて見たら、これも共産党の街頭演説であつた。事実共産党の言うことのほうが正しいのであつて、内地に帰りたがつたけれども、帰つて見たら大したことはないというような絶望感に島民が次第に傾いている。内地復帰を念願した当時の熱情はなくなつている、消えて行きつつあるということを私は伺いまして非常に憂えているのでございます。
私前にアメリカに日本の保安隊の留学生として行つた人の話を実際聞いたのですが、アメリカへ留学した、ところが大体十二、三カ国の人たちと一緒に訓練を受けた。そのときに制服が十二、三カ国の人が皆同じであつた、ただ靴と帽子が違うだけで。同じ訓練を受ける。南鮮の人、台湾の兵隊さん、東南アジアの人、そうして余り同じようなので自分が日本人であることを忘れかかつた、そう言つていました。
ただ特に農林災害につきましては、私はしばしば申し上げて、またかと言われるかもしれませんけれども、実際農地あるいは農業施設の災害を受けた直後に現地を見て、なまなましい惨状の上に立つて査定をいたした者と、ある期間たつて、農家の涙の出るような努力である程度の手直しができたあとから冷然と見に行つた人の目というものはおのずから違つて来る。